2006年02月07日

インターネットの歴史 (2/3)

 1990年以降 ー HTML文書の発明とブラウザーの登場

 ホームページに使われているHTML(Hyper Text Markup Language)文書は、スイスの学者であったティム・バーナーズ・リー氏(CERN所属)により考案されました。1992年の事です。彼はその普及を促すためにインターネットを通して仕様を世界に公開しました。HTML文書(簡単に言えば、リンクの仕組み)は、当初は学術的な用途を想定していたと思われます。論文中にある引用文献をクリックすれば、その引用文献が表示できるので、学者にとっては好都合だったと思われます。WWW(World Wide Web)と言うのは、世界中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた通信網という意味で、そのときに同氏により命名されたものです。
 しかし1993年には、イリノイ大学の学生達が画像も表示できる「モザイク」と言うブラウザーを開発した事により、インターネットの利用が一般にも爆発的に広がる端緒となりました。私たちがインターネットと言う言葉を耳にするようになるものこれ以降のことだと思います。

 イリノイ大学ではモザイクの成功に気をよくして、これをライセンス販売して利益を得ようという動きが出ます。開発者の一人であったマーク・アンドリーセンはそれに反対し、もっと広く公開して普及を促進すべきだと言う立場に立ちます。しかし、結局モザイクのライセンスはスパイグラス社に委ねられ、同社は後に今から思えば驚くほどの安値でMicrosoftに供与する事になります。

 一方イリノイ大学を去ったマーク・アンドリーセンは、カリフォルニアでジム・クラークと出会います。ジム・クラークはシリコングラフィックスを経営しており、当時その会社を引退直後でした。マーク・アンドリーセンの話を聞いて、ブラウザーの普及を確信したジム・クラークの援助により(ベンチャーキャピタリストのはしりでしょうか)、モジラと言うブラウザー(後にNetscape Navigator)が開発され、それが無償配布されました。

 このソフトを無償配布するという考え方が(極端に言えば、インターネットはただ!!)、インターネットの歴史にかなりのインパクト(と言うより、根本的な性格)を与えたのではないかと思います。

★1995年頃でしたが、私は外資系企業のIT部門を担当しており、インターネットに関するセミナーを社内で行いました。その時には、日本に駐在していた社内のアメリカ人が大挙セミナーに参加して来て、その関心の高さに驚きました。その時には既にNIfty他のプロバイダが存在し、モデムから電話回線を通じてインターネットに接続できました。

参考URL:
http://www.incunabula.co.jp/dtp-s/defect_standard/3.html
Netscape Nabvigatorを開発したマーク・アンドリーセンについてや、デファクト・スタンダードについての考え方が詳しく説明されてています。
https://secure.mozilla-japan.org/mt/mt-tb.cgi/19
マーク・アンドリーセンがイリノイ大学を去る状況が述べられています。
https://secure.mozilla-japan.org/mt/mt-tb.cgi/20
上記と同じブログですが、マーク・アンドリーセンと事務・クラークの劇的な出会いが説明されています。


posted by sunshine at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter,ネット,アプリ,世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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